JCCC祈り部門 |
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危機的な日本のためのとりなしの祈りの必要性 ―イスラエルのためにとりなすモーセの姿から学ぶ― 主がイスラエルの民を愛していたことは、聖書の中で明らかにされています。主は彼らを恥じることなく「わたしの民」と呼び、彼らを偉大な国民とすると約束されました。主は、くり返しイスラエルに対する愛を示され、エジプトの奴隷生活から彼らを解放し、荒野の中を追ってきたファラオの軍隊に対抗して戦いました。荒野にいた時も、水やマナ、うずらを与えて彼らの渇きや飢えをしのがさせました。そして、イスラエルを愛するがゆえに、神は戒めを与えて、もしそれを守り行えば「あなたの神、主が永久にあなたに与えようとしておられる地で、あなたが長く生き続け」(申命記4:40;7:6-11) ることができるようにされました。 不幸なことに、イスラエルの民は、早くも神に背を向けて、神が与えようとしていたその戒め―神がその御手でまさに刻まれた戒め!―にそむきました。モーセが山に登ってその戒めを受けとるまでに40日が過ぎていましたが、彼らは、モーセの兄弟・アロンのもとに集まってきて「さあ、私たちに先立って行く神を、造ってください。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから。」(出エジ32:1)と言いました。イスラエルはすでに、神ではなく、モーセのおかげでエジプトから救出されたと思い込んでいたのです。彼らは他の神を造ってほしいと訴え、この上なく彼らを愛している神を、露骨に拒みました。残念ながら、アロンは民の訴えを聞き入れてしまいました。アロンは民から集めた金(きん)で子牛を作り上げ、「翌日、朝早く彼らは全焼のいけにえをささげ、和解のいけにえを備えた。そして、民はすわっては、飲み食いし、立っては、戯れた。」(出エジ32:6)彼らは、真の神を礼拝する代わりに、金でできた子牛の像を拝みました。 それ以前に、主は「ねたむ神」(出エジ20:5)と聖書に描かれ、民が罪を犯したことで、神には怒りが込み上げました。民の偶像礼拝を主がモーセにあらわにされた時、主はイスラエルの民を「あなたの民」と呼んでおり、おそらくこれは民が神を拒んだように、神ももはや彼らを拒んだということを意味しています。主は彼らの反逆をご覧になって、イスラエルを滅ぼそうとしましたが、モーセに対しては彼を大いなる国民としようと約束されました。(出エジ32:9-10) これまでイスラエルについて記してきましたが、その多くは、一般的にすべての人々について当てはまり、特に日本についても言えることです。日本人はこれまで神のあふれるような祝福を受けて生活も満ち足りています。近隣諸国とも平和を保ち、法的に国内が治められています。主はこの国を祝福してとても美しい国とし、経済的にもかなり裕福にされました。主は日本人に対して本当によくしてくださっています。それ以上に、事実、神はそのひとり子のいのちをお与えになったほどに私たちを愛しておられるのです。(ヨハネ3:16)聖書が特定して日本人を「わたしの民」と呼んでいないまでも、確かに主を信じるものは誰もが神の子どもとなれると言われています。神は「この方(イエス)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12)と約束されました。また、「(主は)ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(Ⅱペテロ3:9)そして、イスラエルを愛されたように、神はみことば通りに日本人も愛し、イエスを信じたすべての人が、―ただの「長寿」ではなく、永遠のいのちを―受けることができるようにされました!(ヨハネ3:16) 残念ながら、多くの日本人は真の神を拒んでいます。130年ものプロテスタント・クリスチャン宣教の歴史がありながら、クリスチャン人口は全国で1%にもなりません。大多数の人々が唯一の主を他の神々にすりかえています。この偶像礼拝は、自分の家の先祖に対して祈ったり、もっと金持ちになりたいという願いだったり、雇われた会社に対して絶対服従する姿に見られたりしています。 聖書は、主が全地を裁き、すべての悪が滅びる終わりの時がやってくると警告しています。主は、この裁きに対する逃げ道も用意してくださっています。それは、罪を悔い改めて主が十字架で死なれ、私たちの罪を赦してくださったこと、キリストを信じるという道です。主を信じたものには、主によって新しい天と地が用意され、残りの者は、永遠に苦しみ、神の御前から追い払われることになります。もし、今すぐこの裁きが訪れたとしたら、99%の日本人は主の激しい怒りの中で苦しみ、そしてそれは永遠に続くのです。 モーセは、主のみ怒りを深刻に受け止め、すぐにイスラエルの民のためにとりなして祈り始めました。イスラエルが問題を繰り返し起しても、モーセはそれでも彼らを愛し、彼らを滅ぼさないでくださいと嘆願しました。彼らはまだ「あなたの民」ではないですか、かつて救おうとした民ではないですかと主に思い起こさせて祈るところから始めました。また、エジプト人が義である主の御名を認めるかと心配し、彼らが主が悪意をもって滅ぼすためにイスラエルを連れ出したと言わせないためにも、み怒りをおさめて思い直してくださいと訴えました。またモーセは、約束を守られる忠実な主の御名を掲げて、アブラハム、イサク、ヤコブに対する主の約束を思い起こさせました。ついに、モーセは民のところに行き、悔い改めを呼びかけ、「だれでも、主につく者は、私のところに。」と言いました。(出エジ32:26) 聖書はモーセのとりなしの結果についてこう記しています。「すると、主はその民に下すと仰せられたわざわいを思い直された」(出エジ32:14)。もし、モーセがとりなしの祈りをしなかったなら、イスラエルの民たちは完全に滅ぼされていたでしょう。その代わりに、主は民に悔い改める機会を与えて、悔い改めに進んだ者を赦しました。しかし、悔い改めなかった者は、モーセの命令によってレビ族の手で殺されました。主が「思い直された」のは、民たちに対するすべての罰を軽減したという意味ではなく、彼らを完全に滅ぼしてしまうことからは容赦したということです。(ジョンD.ハナー1983) しかしながら日本について思う時、いくつかの疑問が湧いてきます。 誰が、日本をとりなすほどに愛しているのでしょう? 誰が、主の御名が日本でそして世界中で崇められるのを見たい、その結果日本で主の力強い御業が起こるようにと心配っているのでしょう? 誰が、主の願いは一人も滅びることなく、すべての人が悔い改めに進むことではないのですかと主に思い出させるのでしょう? 誰が、民のところに行って、-少なくても主に人を遣わしてくださいと訴えて-日本人に悔い改めを呼びかけるのでしょう? 日本人の罪-特に偶像礼拝の罪-を見る時、日本人はひどく恐ろしい裁きに向かっているという事実から逃れることはできません。これだけでも、日本人のためにとりなす思いが起されるのではないでしょうか?日本人に対する主の愛を思う時、これだけでも、日本人のために祈る心が揺り動かされないでしょうか? もし、キリストの体の内の多くの人が日本人のためにとりなし始めたら、結果はどうなるでしょう?何百万もの人たちが、私たちのとりなしの祈りの結果、裁きから免れることができるかどうかは分かりません。また、私たちの訴えを主がすぐに応じてくださるのか、遠い将来に答えてくださるのかどうかも分かりません。しかし、私たちは知っています。何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いをきいてくださるということ(Ⅰヨハネ5:14ー15)を、また主の願いは「ひとりでも滅びることを望まず」(Ⅱペテロ3:9)であるということを。おそらく、主は「思い直して」この日本に、大きな霊的覚醒をもたらしてくださるでしょう。 モーセがとりなしたように日本人のためにとりなす人が必要です。ねたむ神の前に日本の苦しい状態を認めて、神が愛されたようにみずから日本人を愛する人が必要です。あなたはどうでしょうか?あなた自身を日本人のとりなしのために誠実にささげる思いがおありでしょうか?もしおありでしたら、どうぞ私たちの緊急の「祈り課題」のページを見ていただいて、毎日祈り始めてください。もし、祈りのために自分の時間を有効に使う実践方法を学びたいという方は、「関係情報(資料)」のページにいくつか役立つ記事がありますのでご覧ください。日本人のために祈りたい、Eメールで私たちの最新の祈祷課題やこのサイトの他のコンテンツを見たいという方は、どうぞ「祈り部門について」のページを見て、連絡してください。 もし、自分がふさわしくないのではないかと感じている方がいらっしゃっても、がっかりしないでください。多くの人達が、一度、人々のために祈り始めたら、人々と神に対する愛がますます深められていったという体験をしています。日本のために、そして主のために、日本人のためのとりなしの祈りを始められることをお勧めします。 参考: (日本語聖書は「新改訳聖書:日本聖書刊行会1973」を使いました。) Hannah, John D., The Bible Knowledge Commentary, ed. John F. Walvoord and Roy B. Zuck, New Testament ed., "Exodus" (Wheaton: Victor Books, 1983), 156. |
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