この時代の宣教
1.聖書に堅く立つ
1 ペテロ 1:24
「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る、
しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」
今の時代、ものごとがものすごいスピードで変化している。拠って立つ価値観でさえ、
社会レベルで変わってしまうことが過去にあった。この日本でも過去、100年間のうちに2回の天地をひっくり返す変化が起こった。1つは明治維新であり、もう一つは第二次大戦後である。明治維新では文明開化とやらでちょんまげを切り、洋服を着るようになった。戦後は神であった天皇は人となり、鬼畜米英と言われていた敵国のアメリカ好きに
なった。社会の価値観は変わるのである。巷ではファンダメンタル(原理主義)は悪い
イメージで捉えられているが、聖書に固く立つという意味でのファンダメンタルは大いに結構。変わらないものは変わらないのだ。いつの時代も神は神、人は人、罪は罪、唯一の救いはイエスキリストなのだ。すべてが相対主義のこの世の中で、批判するマスコミに絶対的な中立公正などなく、どっちみちバイアスに満ちている。ニュースは視聴率を上げるために、また拠って立つ立場を支持するよう加工されている。生の真実とは言い難い。進化論をベースにする日本の教育では宇宙の起源、命の起源を「偶然」としながらも、イジメはわるい、命は大切と矛盾したことを教えている。実は神学でさえ、その時代の影響を免れない。聖書は啓示だが、神学は文化。戦後の神学はニューマニズムと実存主義に大きく影響された自由主義神学がキリスト教界に大きく影響した。しかし、イエスは岩。イエスご自身は変わらないのだ。
「イエス・キリストはきのうも今日も、いつまでも同じです。」(ヘブル13:8)
今の時代、自分が誰であるのかという「アイデンティティ」と現実感「リアリティ」が
危機なのだ。今までは1つの世界、1つの自分があたりまえだったが、コンピュータ社会では、そうではない。現実感覚を持たない若者たちが増えている。大きな物語(神の歴史)を喪失してしまった結果なのだ。聖書が語る世界(リアリティ)へと人々を引き戻さなければならない。
神に出会わなければ、聖書から教えられなければ、世の博学は神の御前に愚かしい。逆に教会学校へ行って聖書を学んでいる小学生のほうが、総理大臣より知恵に満ちているということがありえるのだ。霊の目が開かれるまでは、ずれている自分が真ん中だと思い、聖書の真理がずれていると思う。パウロがフェストの前で弁明し、真理を語ったとき、高名なフェストがこう語った。「気が狂っているぞ。パウロ、博学があなたの気を狂わせている。」パウロは答えていった。「フェスト閣下、気は狂っておりません。私は、まじめに真理のことばを話しています。」(使徒26:24−25)まさに、「十字架のことばは滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(Iコリント1:18)
私たちは確信持って、神のことばを語りましょう。福音を伝えましょう。
2.
時代をわきまえる。
今は確かに終わりの時代なのです。預言通りイスラエルは建国され(1948)、ヨーロッパ共同体がつくられ、東の中国が台頭してきており、コンピューターの発達で経済を支配できるようになってきています。いつ、主が来られてもおかしくないのです。今日、神の救いの歴史の全体像を把握しつつ、自分のミニストリーに携わってゆく必要があります。私たちは勝手にミニストリーをしているのではなく、コンダクターとしての神がすでに奏でている主旋律(救いの御業)があるのです。私たちはそれに沿ってそれぞれの楽器を演奏する奏者のようです。そうです、歴史 History はHis STORYなのです。パウロは語る。「神のご計画の全体を余すところなくあなた方に知らせておいた。」(使徒20:27)エペソ書を見ると、神が歴史を通して何を為さろうとしておられるのかが分かります。
エペソ 2:1 私たちは罪と罪過の中に死んでいた。霊的に死んでいた。サタンの霊に従って歩んでいた。それが、個々人が救われ、十字架で敵意が取られ、文化国籍のカベもとられ、神の家族となった。2:15 すなわち神は救われた人々を連結して、新しい
「一人の人」をつくりあげている。――生命体としのキリストのからだ、すなわち教会。これは、(2:22) キリストという礎石の上に立てられる、生ける宮。建物全体が成長する神の御住まい。
つまり、個々人が救われて幸せになることだけが目的ではなく、救われた個々人を結び合わせて一人のからだ、生ける宮をつくり出しているというのです。その中で、私達、一人一人への神のシナリオもあるのです。
また、神の救いの歴史のタイムテーブルから言うと、旧約は救い主が来るよという預言篇、新約は「ほら来たよ」という成就篇、時至って、主が来られたのです。しかし、イスラエルは主の訪れの時を知らなかったのです。かえって、主を拒み、ユダヤ人がメシアであるキリストを十字架につけ退けたので、福音は異邦人に行ったのです。それで、旧約聖書を知らない、私達のような異邦人が変えられ、伝道するようになっているのです。異邦人の時の満ちるまで(全世界に福音が述べ伝えられるまで)世界宣教が行われるのです。ということは、地上での福音宣教はいつまでやってるわけではないのです。「ある時」まで、
救いの歴史上、大事な「ある時」 聖書では「その時」と言われている。
(マタ4:14)「この御国の福音は全世界にのべつたえられ、それから、終わりの日が来ます。」 つまり、福音が世界の国民に証され 世界宣教が完成したとき、つまり、
「異邦人の時」の終わり。次は神の民、ユダヤ人の時。
ローマ11:11「では尋ねましょう。彼らがつまずいたのは、倒れるためなのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。それは、イスラエルにねたみを起こさせるためです。」
ローマ11:25−26「その奥義とはイスラエル人の一部がかたくなになったのは、異邦人の完成のなる時までであり、こうしてイスラエルはみな救われる、ということです。」
終末というと裁きが強調されるが、聖書は「救い」と「回復」がテーマなのだ。私達は
どこに向かっているのか? 暗闇とあらし(混乱)ではなく、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの「大祝宴」に近づいているのだ。(ヘブル12:22)
再臨、やがてくる新天、新地を視野に入れた時代認識をもち、 緊張感もって、終わりの時代のメッセンジャーとなる必要があります。旧約時代には預言者は国家的レベルで国民に神の言葉を語ったのです。今の時代、死んだ国に霊を吹き込むような(エゼ37:9)預言者的メッセンジャーが必要なのです。
3.
真にスピリチュアルであること
今は霊の時代。スピリチャルが流行っている。学生の6割が「霊、たましい」の存在を
信じる。我々クリスチャンこそが霊の専門家のはず。しかし、多くの若者はこの世の
スピリチュアリストのところへいってしまう。この時代の宣教は「霊」をわきまえる必要ある。
今日、科学の世界で「意識」がテーマとなり、どうして物質である140億の脳細胞
(ニューロン)のネットワークで「意識」「魂」が生じてしまうのかが大きな問題となっている。1905年にアインシュタインが相対性原理を発表して以来、ニュートンの絶対時間、絶対空間に代わって、時空は歪むということとなった。さらに、最近、ハーバード大学の物理学教授のリサ・ランドールによれば、我々の次元は極度に時空の歪曲した5次元という異次元と隣接しているという。見えないけど「在る」とう存在。宇宙で解明されている物質はたったの4%、あとの96%はダークマターとかダークエネルギーとかで、目に見えないけど「存在」しているものなのだ。今後、異次元ブーム、スピリチュアルブームか加速されると思われる。人々は宗教を嫌っても、何か霊的なものに引かれ始めている。しかし、人が物質主義の限界から霊的なものへの関心が深まったと喜んでばかりはいられない。サタンは偽りの霊であり、科学と宗教が統一されるキリスト抜きでのスピリチュアリズムに向けての大行進が始まっているのだ。そこには「罪」も「購い」もなく、「十字架」も「キリスト」もない。霊の世界は確かにある。そして、ニュースを見るたび、「悪」の現実も見ている。ニューエイジに走る若者たちをどう受け止めるのか。我々は霊的なムーブメントを目指している。形式的な宗教は嫌いだが、霊的なものには大変関心ある若者たちをどう捉えてゆくのか。今こそ、クリスチャンが真に霊的であることを追求することが
必要。悪霊に対して、霊的権威を行使してゆくことが必要。
4.
聖書が語る教会へ戻ること。
ジョージ・バーナの「レボリューション」が話題を呼んでいる。(過去2000年間、確かにクリスチャンは教会を発展させてきたが、キリストが求められた"真”の教会は無視されたままだった。そして、現在、ただ主への献身を表明した信仰者の群れが、「日曜の朝の信仰」から、教会内の雑音と硬直した制度には束縛されない「全時間の信仰」へと移行している。)ーー本書表紙説明よりー
教会とは何だろう。新たに問われている。「オーガニックチャーチ」という本も出ている。本来、教会はキリストの体、聖霊が住む、信徒の交わり。ただの建物、組織ならこの世のものと変わらない。教会は建物だろうか。教会は日曜日に「行くところ」なのだろうか。教会とは日曜日10時半からの礼拝というプログラムに参加することなのだろうか。有給の牧師がいないと「教会」ではないのだろうか。使徒の働きを見ると、牧師という言葉がほとんど出てこない。各都市の群れに長老を任命したとあるだけだ。むしろ、パウロのようなチャーチプランターとしての使徒の働きにフォーカスされているように思われる。
パウロは1−3年で場所を移して「信徒の群れ」を起こしていった。圧倒的に教会の数の少ない日本で、必要なのはチャーチプランターではないだろうか。神学校は「牧会」は教えても、どれだけ「チャーチプランター」を養成しているのだろうか。初代教会の様子は使徒2章41−47で垣間見ることができるが、原則は述べられていても、教会や礼拝のスタイルについてはかなり柔軟性を残しているように見受けられる。ことに大都市に住む人々のライフスタイルに合わせた教会が必要とされている。原則を踏まえつつ、金曜日夜11時から始まるミッドナイトチャペルがあってもいいし、都内のカフェチャーチや、
マンションルームチャーチがあってもいい。本質をわきまえているなら、形は変化できるのだ。いや、時代に則して、変化しなければならない。都会人のライフスタイルに合った、教会形成をしないと、「日曜日午前中礼拝」に来られない多くの人を除外してしまうことになる。今日、「牧師」にウエイトが行き過ぎてないか。一人の牧師に頼る大勢の信徒ではなく、聖霊に満たされた、主の弟子が育つことが重要なのである。主の弟子はさらに次の世代を生み出す(IIテモテ2:2)。信徒を支配するのでなく、聖霊に委ねて、信徒を
送り出す必要がある。主はキリストのからだに「賜物」を与えた。信徒全員がそれぞれの賜物を用いて、神の国を広げてゆく。御霊のあるところには「束縛」ではなく「自由」がある。(IIコリ3:17)
5.
宇宙の主 (the Lord of the Universe)という認識
今日、宇宙についてだいぶ分かってきた。宇宙は137億年前、ミクロの粒から始まった。
宇宙は時間と空間の無い、「無」から始まったことを科学者は認めている。無から忽然と
現れたとされる、そのミクロの「宇宙の粒」は、膨張し、ものすごい光となる。そう、
宇宙の始めに光があったのだ。この光は現在、絶対温度3K(マイナス270度)の
電磁波として宇宙全体を満たしていることが観測された。このように宇宙はエネルギー
から物質になったように、物質がエネルギーに変わる可能性も科学者は語っている。
反物質の存在も確認されており、物質と反物質が会い見えると忽然と両者とも姿を消し
てしまうのだ。天の万象が消えうせる可能性はあるのだ。(IIペテロ3:10)
宇宙に存在する4つの力(重力、電磁力、弱い力、強い力)の大本に、すなわち宇宙
開闢の時点で4つの力を統一する原始の力があったと科学者が言っている。強い力とは
原子核内の陽子や中性子の中の3つのクオークを閉じ込めている力だが、この力が解か
れれば、すべての物質はその姿を保っていられないのだ。御子はその力あるみことばに
より、万物を保っておられるのだ。(ヘブル1:3)。宇宙物理学の最先端の超ヒモ理論に
よると宇宙はもともと10次元で、今我々のいる3次元プラス1次元の時間、以外は
ミクロの世界に丸め込まれていて観測不可能とする。次元が巻かれるとは興味深い表現だ。
ヘブル1:11−12 によると
「主よあなたは、はじめに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。
これらのものは滅びます。しかし、あなたはいつまでもながらえます。すべてのものは着物のように古びます。あなたはこれらを外套のように巻かれます。あなたはこれらを着物のように取り替えられます。しかし、あなたは変わることなく、あなたの年は尽きることがありません。」
宇宙は永久不変なのではないのです。聖書ははっきり、今の天と地は滅び、新しい天と
地が来ると言っているのです。(IIペテロ3:13)
また、このヘブル書の箇所から聖書の神だけが、宇宙を越えて存在していることがわかる。宇宙=神なら、宇宙の崩壊とともに神も崩壊する。しかし、我々の神は我々の3次元にも縛られていない。神にとっては過去・現在・未来は同時に「今」でしかない。
あなたが見ている太陽の光は8分前太陽を出た光なのです。太陽まで1億5千万キロあります。私たちはこの太陽系にいます。太陽系は我々の銀河の一部にしかすぎません。銀河系は直径10万光年。我々の銀河だけでも2000億の星があると言われます。お隣のアンドロメダ銀河までは230万光年。さらに銀河の集まる、銀河団は直径1000万光年。 そんな銀河が宇宙には1000億個(学者によっては1兆)もあるというのです。宇宙の広さは137億光年。そんな広大な宇宙を創られた神が私に目を留めるなんて、この神が私を「あなたは高価で尊い」と言ってくれるなんて信じられない話です。(イザヤ43:4) 私のことを思ってくれているなんて、It is amazing!
この神は道端のお宮にあるような神とまったく違うのです。諸宗教の中の1つの神ではないのです。人が信じようと信じまいと、そこに存在する宇宙の主なのです。
「わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。」(ヘブル12:26)といわれる神です。またそれができる方です。
この意識で祈っていますか? 期待していますか? 信じていますか?
「このもう一度ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るため
に、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。
こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。こうして私たちは、慎みと恐れとをもって、神に喜ばれるように
奉仕することができるのです。」 (ヘブル12:27−28)
この時代、コンピュータの発達とともに、大きな変化を迎えています。しかし、私達の主は
21世紀の神です。神はこの時代の人々を愛し、救うため、この時代に生きて、働いておられるのです。この世界を神のもとに買い戻すという壮大なプロジェクトに「お父さま」と共に
参与させていただきましょう。