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「全世界に出て行って、すべての造られたのもに福音述べ伝えなさい」 マルコ16:15

「はじめにことばがあった」

喜びと平安の基盤

INTRO
最近、「多重化するリアル」  (香山リカ  ちくま文庫)という本を読んだ。
最近、ふえる、離人感覚を抱いた若者たち。あるいは多重人格的なふるまいを見せる
人たちにその原因となるトラウマをみつけることができないという。
「あらゆる価値は不安定となり、感情や直感がすべての判断のもとになっている社会。
そういう中にいる人たちがおびただしい情報や映像に触れることによって、ただでさえ薄れかけていたリアリティは、あっというまにさらに希薄になっていきます。そうして、何を見ても実感がわかない、自分の存在じたいピンとこない、という離人感覚ができあがる。さらに、インターネットや携帯電話などの情報機器の発達は、日常の中にさまざまなバーチャル空間を出現させます。私たちは、まるでパソコンのモニターの上にたくさんのウインドウを開いていろいろな作業を同時進行させるように、現実の世界の中でたくさんの"別の世界"を並行して走らせるのです。いくつもの肩書き、いくつもの考え、いくつもの恋愛、いくつもの自分。かくして、ごく自然に多重人格的なふるまいをする人たちが現れることになるのです。」(あとがきP222) リアリティが危ない。映画「マトリックス」が予告したような世界に入ってゆくのか。いったい、現代人はどうなってしまうのか? 人間として生きてゆくには何が必要なのか?
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1. 人間は「意味」がなければ生きてゆけない
2. 人間はモラル的な解決がなければ耐えられない
3. 人間は愛されなければ喜びがない(ハッピーに生きられない)
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1.人間は「意味」がなければ生きてゆけない生き物です。人間だけが自殺します。人生に
意味がないと知ると、自ら命を絶つのです。

今、科学の先端では「意識」が問題になっています。意識は単なる脳細胞(140億個のニューロン)の発火によるものか、それともそれを超えた宇宙意識とでもいうべきものがあるのか。元ソニー常務で
ロボット犬の開発にかかわった天外伺朗さんは「見えない世界」すなわち、宇宙的無意識というものがあり、あたかも人格を持ってるかのようだと言っています。つまり、心は肉体と別に存在しうるというのです。しかし、これは科学者の中では少数派で、圧倒的に「唯脳論」です。この宇宙の背後に「人格的意識」があるのか無いのか。それは私たちの世界観を180度変えます。聖書は何と言っているでしょうか?

「はじめに言葉(ロゴス)があった・・ことばは神であった」 (ヨハネ1:1)
聖書ははじめにロゴス(理性的な存在)があったと明言しています。理性的な存在(神)がいるから、
そこに「意図」があり「意味」があり、つくられたものに「価値」があるのです。無神論の現代科学は宇宙が135億年前、無から宇宙の粒から現れたとします。そして瞬間に膨張、インフレーションを起こしたあと、ビックバン(火の玉)になり、ものすごい勢いで膨張し、現在の宇宙になったと。そして地球が45億年前につくられ、偶然に生命が生まれ、700万年前に人間がチンパンジーから分化して現れたと。基本的には全てが偶然であると。それなら、ミミズもゴキブリも人間も分子構造が違うだけで、基本的に同じモノであり、(脳も物質、心も脳細胞の発火にすぎない) 台所のゴキブリは踏み潰すのに、気に入らない人を殺してどうして悪いという中学生の質問に誰も答えられないのです。
「生命のない普通の物質も、生命のある物質もどちらも10の23乗個という膨大な数の原子や分子の集団であるという点ではまったく同じなのに、生命のある物質ではその集団が整然と秩序正しく運動し、その秩序が保持されていることに特徴があるということなのです。」 (講談社 脳と心の量子論)
これは重要な指摘です。新宿駅の雑踏のような素粒子や原子核がどうして北朝鮮の軍隊のように
秩序正しく整列し、生きた生物としての複雑な構造を作るようになるのか無神論では答えられないのです。この宇宙には4つの力があります。重力、電磁力、強い力、弱い力と呼ばれます。最近では原子核の中の陽子、中性子の中にさらに小さなクオークという粒子が3つづつ入っているとされていますが、そのクオークを強力に結び付けているのが「強い力」と呼ばれるものです。この力が解かれれば、すべての物質はその姿を保っていられないのです。「なぜなら万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、・・・すべて御子によって造られたのです。・・御子は万物より先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。」(コロサイ1:17)

宇宙が偶然につくられ、生命が偶然につくられ、人間が偶然にうまれたなら、人生は偶然の出来事であり、「今」が楽しければいいんじゃない「儲かればいいんじゃない」となり、モラルは崩壊するのです。
学校でも一方は進化論で、すべてのものは偶然と教えておきながら、適者生存、道徳を守れ、人を殺すな、いじめをするなと言うのは矛盾なのです。

聖書ははじめにことば「ロゴス」 知的な存在があったことを宣言しています。この知的なお方が世界を意図をもって造ったので、世界には意味があるのです。人間には意味があるのです。たとえ、チンバンジーと人間のDNAが99%同じでも、ヒトは神の形につくられ、神と交わる「霊」を持っているのです。
神はヒトをユニークなものに創られたのです。ところで今、スピリチャルブーム。アンケートによると、小中学生 生き返りを信じる20%、大学の心理学の生徒135人中、霊魂はあるが61%、人は生き返ることもある 24%、前世からの生まれ変わりを信じる56%。スピリチュアリスト江原さんの番組も高視聴率。特に若者は、この世界が物質だけでないことをわかっている。ただ、霊だからといって全て信じてはいけないのです。聖書は悪霊もあり、聖霊もあると言っています。霊の世界はあります。神は霊です。イエスを信じると賜物として「聖霊」を受けるのです。聖霊を持たないと悪霊に影響、支配されるのです。教会こそ、クリスチャンこそ霊の専門家。この時代、教会こそが真のスピリチャルなものを提供しなければなりません。

そして、はじめに「ロゴス」があったから、「わたしはある」という方と出会い、その方とつながったから、そして自分には意味がある。この方を離れて、宇宙に放り出されて、喪失感、宇宙的不安を感じるのはあたりまえ。若者が自分の居場所を必死に求めるのはあたりまえ。創造主なるこの神に出会わなくては人生の意味がわからない。科学も金も「なぜ自分が生きてるか、WHY?を教えてくれない」
人生には意味があることを知ったから、「平安」があり、「喜び」があるのです。

2.人間はモラル的な解決がなければ耐えられない生き物です。
スーパーマンでもバットマンでもウルトラマンでもすべてのヒーロー映画は最後に悪者をやっつけて、
一件落着となるのです。観客は「ああ良かった」と安心して満足して映画館を出るのです。だらだらとずっと戦っている映画を見続けられますか? 凶悪犯に裁きが下らなければ耐えられないのです。なぜ、裁判をするのでしょう。決着をつけたいのです。不正に対してそのまま、放っておくことができないからです。闇も現実、悪も現実。ニュースを見れば一目瞭然です。しかし、光も現実、神も現実なのです。
カトリックの精神科医、加賀乙彦氏の書いた「悪魔のささやき」には凶悪犯罪者の多くが犯行の瞬間に「悪魔のささやき」を聞いたというのです。自分の力ではない、何者かに背中をポンと押されたというのです。 悪霊は現実に働いているのです。サタンの目的は騙し、奪い、滅ぼすことです。しかし、イエスは私たちが豊かな命を持つため来られたのです。(ヨハネ10:10) 聖書はこう宣言しています。

「光は闇の中に輝いている、闇は光に打ち勝たなかった」 (ヨハネ1:5)
そしていかに戦いが激しくとも、光の勝利は約束されているのです。唯一闇を追い出す方法は光を灯すことです。神は光であった暗いところが少しもない。宇宙が真っ暗だったらどうでしょう。太陽の日がまったく射さなくなったらどうでしょう。恐ろしいことです。このお方は命であり、光なのです。聖書ははっきり言っています。悪は裁かれるのです。サタンは滅ぼされるのです。やがて来る新しい天と地ではもはや涙も苦しみもないのです。聖書はモラル的解決を約束しています。このままじゃない。イエスはもう一度来られるのです。真っ暗闇に花嫁を愛する花婿がやってくるのです。だから、「平安」なのです。だから「喜び」があるのです。ロゴスは命であり、命は光なのです。(1:4) 。混沌は秩序(ロゴス)の飲み込まれ、死は命に飲み込まれ、闇は光に飲み込まれるのです。 ハレルヤ!

3.人間は愛されなければ喜びがない生き物です。
神様、神様といっても見えない神様を知ることは難しいのです。神の愛といってもわかりません。知ることのできない神は遠い存在となり、こわい方となるのです。聖書はこう言っています。

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」 (ヨハネ1:14)
しかし、ことば(神の意識、ご性質そのもの)は人となったのです。手でふれ、目で見えるお方として来られたのです。人となったイエスを見て、この方が恵みとまことに満ちておられることを人々は証言したのです。イエスはキム・ジョンイルやフセインのような独裁者ではなかった。子供が近寄っていく、やさしいお方であった。「いまだかつて神を見たものはいない、父のふところにおられるひとり子の神が神を解き明かされたのである。」(ヨハネ1:18) この方は「聖」であり「義」であり、「愛」なのです。サタンの支配下にある、この世はその反対で、「汚れて」おり、「不義」であり、「無慈悲」なのです。宇宙の主が暴君ではなくて、犠牲的な愛を持って私を愛してくれる方だと知る事は何と安心でしょうか。

Q.もし、全能だけれど、邪悪な神がいたとしたら、私たちには希望がありません。永遠に邪悪な神に支配されつづけるのです。解放は永遠に来ません。
Q.また、愛の神だけれど、全能ではない神であったとしたら、やがては敵にやられてしまうのです。これではやはり、私たちに希望はありません。聖書では神は全能であり、かつ愛であると言っています。

こんなに「悪」が現実である世の中で、天地宇宙の根源なる方が「愛」と知る事は何と言う慰めでしょうか。広大な宇宙のことを考えたことありますか?今、あなたが見ている太陽の光は8分前太陽を出た光なのです。太陽まで1億5千万キロあります。私たちはこの太陽系にいます。太陽系は我々の銀河の一部にしかすぎません。銀河系は直径10万光年。我々の銀河だけでも2000億の星があると言われます。お隣のアンドロメダ銀河までは230万光年。さらに銀河の集まる、銀河団は直径1000万光年。 そんな銀河が宇宙には1000億個もあるというのです。宇宙の広さは137億光年。そんな広大な宇宙を創られた神が私に目を留めるなんて、この神が私を「あなたは高価で尊い」と言ってくれるなんて信じられない話です。この宇宙の主と祈りを通して話ができるなんてありえないことです。しかし、それが
イエスの十字架を通して現実となったのです。このイエスがきよい神と汚れた私との間の深淵に橋渡しをしてくださったのです。イエスを信じることで、私たちは神の子供となり、宇宙の主を「お父さん」と呼べるようになったのです。いつか無くなる薄っぺらな感情の愛ではなく、この宇宙的な愛に目覚める時、魂の奥底からの平安と喜びが湧き出てくるのです。この平安と喜びは決して、地位、名誉、財産だけでは得ることができないのです。神は「モノ」でも単なる「力」でもなく、あなたを愛している人格を持った「お方」なのです。

今日、私たちの罪(脱線、的はずれ)のために十字架死んだ神の子イエスを信じてください。宇宙の創造主を無視することが罪なのです。それは愚かなことです。信じるものには賜物としての聖霊(神の霊)が与えられます。悪霊じゃなく、神の霊によって生きるパワーが、愛するパワーが与えられます。

また、クリスチャンの方へお聞きしたい。祈る時どんな神のイメージを持っていますか?宇宙の主への驚きがありますか。私は個人で祈るとき、「宇宙の主よ」と意識的に呼びかけるようにしています。137億光年の広大な宇宙を創った主です。それを思うと、この方と話せるなんて本来ありえないのです。宇宙の主と話せる(祈れる)のはすごい特権なのだと思えてきます。CCCの創立者のビルブライト師はよくこう言いました。「もし心が清く、動機が正しいなら、どんなことも祈れる。神様サイズの祈りをしなさい」と。

日本CCC 代表 栗原一芳

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