天と地を結ぶ祈り


「神さまって皆の心に住んでるんでしょ?」「信仰って心の問題でしょ」 時に神様はプライベートな神様だけに納まっていないでしょうか。まるで、携帯の キーホルダーのマスコットみたいに。

教会の祈祷会でも、個人の必要のためには祈るが、ともすると祈りが教会の中の ことだけになっています。祈りが外に出て行かないのです。


ハワイのラルフ・モア師の証 17歳の少年がモア師の教会に祈り会のため会堂を貸してくれと頼みに来ました。彼は近くの高校の校長に会いにいき、祈り会がはじまったので祈り課題がありませんかと勇気を持って聞いたのです。問題は3つありました。女性徒のケンカ、麻薬、そして卒業率の低下だったのです。ところが祈り会の次の日には女性徒のケンカがストップしました。ドラッグの検挙率が年間に3件だったのに、1日で3件見つかりました。卒業率もUPしました。会堂を貸した牧師はとても感動してその教会で祈りのグループを結成、勇気をもって、町の警察や消防署にいき、祈り課題を聞きだしました。警察では喜んで警察官の名前一人一人のリストまでくれました。神の力が見え始めました。今ハワイではリバイバルです。3年間で麻薬犯罪が88%減りました。犯罪が50%減りました。ホノルルの市長が1500名の前で信仰を告白しました。すべてこの17歳の少年の祈りから始まったのです。教会がその置かれている町のため、コニュニティのため具体的に課題をあげ、祈り出したのです。教会はそもそも教会員の祝福のためだけでなく、その地の祝福の基地として置かれているのです。

私達は新聞の社会面、経済面に出ていることと、私個人の信仰とは関係ないもののように 考えてしまいがちです。 旧約聖書を見てみましょう。皆さんのよく知っている物語です。アダムとエバ。ノアの箱舟。バベルの塔。アブラハム、イサク、ヤコブの話。ヨセフのエジプトへ売られる話。 モーセの出エジプト。ヨシュアとエリコの城壁。サムソンとデリラ。 ダビデとゴリアテ。シャデラク・メシャク・アベデネゴが火に投げ入れられた話。ダニエルとライオンの話。ヨナのニネベ宣教。

一体これらの話はどこで起こった話でしょうか?他の惑星で起こったのでしょうか? 天国で起こったのでしょうか?いえ、この地上でです。

旧約聖書は箇条書きの教理書ではないのです。それは歴史、人間ドラマ。神とともに 歩んだ人の証、ライフストーリーなのです。それは、結婚、土地の分与、裁判、政治、 経済、食料、アート、ファッションなど、現実生活の話です。

例えば、地名も具体的にバビロン(今のイラク)、王の名前も個人名でネブカデネザルと 出ています。昔々あるところに・・という日本昔話とは違うのです。

そして、神は、この地球の神、現実生活の中の神、過去の神ではなく、現代社会の神なのです。箴言21:1には興味深いことが書かれています。「王の心は主の手の中にあって、水の流れのようだ。みこころのままに  向きを変えられる。」イスラエルの敵国であったバビロンのネブカデネザル王は、自分の権威を誇って高ぶった。そこで、神の懲らしめで、狂人となり人間の間から追い出され野原で野獣のように7年間、生活したあと、理性が戻って、へりくだり神を賛美するようになった(ダニ4)と記されています。また、主はペルシャのクロス王(つまり異邦人)の霊を奮い立たせたので、王は国中におふれを出してイスラエル人の帰還を許したのです。「この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。」(エズラ1)とまで言いました。

もともと世界の建てられた権威はすべて主から来ているのです。そして、21世紀、この日本で総理の座に着いている小泉さんも都知事の石原さんも、天地を創造した、この神と関係ないのではありません。いかに小泉総理、石原知事が有名でも地位があってもイエスを信じていなければ、創造主なる神に話せないのです。イエスの御名で祈れないのです。彼らは私達の祈りを必要としているのです。私達の祈りによって、神は彼らに語ることも彼らを取り扱うこともできるのです。私達は王の王、に語りかける特権を持っています。「神の子」の特権をもって、あなたの祈りを広げてください。大胆に願ってください。聖書は権威者のため祈れと命じています。「そこで、すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために 願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」Iテモ2:1

Standing in GAP  神はギャップに立って執り成す人を求めているのです。 天と地を結びつける人が必要なのです。そして、それはイエスを信じたクリスチャンに しかできないのです。私は思いを同じくする仲間たちと、いろいろなところでプレーヤーウォークをやりました。国会を周り、皇居を回り、都庁の上から東京を見下ろし、また、 TV局や証券取引所でも祈りました。一般の人から見ると「何をやってるの? 何になるの?」ということでしょう。しかし、霊的には意味があるのです。物事の背後には霊的 戦いがあるからです。祈ることで霊的な情況が変わるのです。とりなしの祈りの必要が あります。クリスチャンのためだけでなく、日本のために。

エペソ1:18-22 「また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が どのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」

21:「すべての支配、権威、権力、主権の上に、・・・・・」 キリストの下にすべての権威があります。そして私達、クリスチャンはキリストと ともによみがえり、ともに天の所にすわっているのです。そこからとりなしの祈りを するのです。(エペ2:6)

ですから、イエスの御名によって祈ることはパワフルなことなのです。

リバイバルは社会を変えます。単に教会員が増えるだけではありません。犯罪が減る。政治が変わる。経済も祝されるのです。ビデオ、「Transformation」ではエスキモーの村で、ウガンダで、フィジーで起こった主の奇蹟の記録が収められています。フィジーの村では呪術師が呪った河が清められ、再び魚が住むようになった。果物の大きさも変わったと いうことまで報告されています。

そして、リバイバルは2-3名の普通の人の祈りからはじまったのです。 神は名も無い、普通の人、弱い人、でも単純な信仰を持つ人の集まりを喜ばれます。 さあ、祈り始めましょう。あなたの町のため、東京のため、日本のために。

日本CCC 代表 栗原一芳

平成17年 4月 8日 日本CCC祈祷会